第 3135 号2009.02.22
「 クサノくん 」
み き(ペンネーム)
季節の変わり目になると最近思い出すひとがいる。学生時代の
友人、クサノくんである。
クサノくんは、花の名前やら空気の匂いやら空の高さやらに敏感で、学校の授業で同じ作業グループになったりすると、手を動かしながら淡々とそんな話をしていた。
そのころ二十歳そこそこだった私は、制作課題に追われる学生生活と、その合間にこまごまと入れたアルバイトや友人との約束で忙しく、正直なところクサノくんの花や空気や空の話はあまりおもしろくなかった。どうしてこんなに私たちは若いのに、季節の話なんかしなくちゃいけないの?私は東京という街で出会う刺激的なひとや刺激的な出来事の話が聴きたいの。何か楽しいことはないかと探しまわり、生き急いでいた私はそう思った。
しかし、あれから十余年。ようやく私は、クサノくんの言っていたことが少しわかるようになってきた。春の空気の匂い、新芽の出る兆し、夏に向かう空の青さや雲の動き、どれもなぜかおもしろい。そしてもうひとつ気づいたことがある。そんな日常の小さな変化を愛おしく思うことは、自分のいのちの限りを感じることとつながっている。
三十代半ばの私に対し人生の諸先輩方は、まだまだ若いとおっしゃる。私もそう思う。だけど、春が来れば、桜の花をあと何回みるのだろうとふと思い、夏が来れば、冷たいビールで楽しむ夕暮れをあと何回送れるのだろうと、ふと考えてしまうのだ。
もしもクサノくんに今会えるなら、私は訊ねたい。人間はこんな淡い哀しさを抱きながら生きる動物なの?と。クサノくんなら何か粋なこたえを返してくれるのではと、私は通勤電車に乗りながら、街を歩きながら、クサノくんの言葉を探している。