第 3130 号2009.01.18
「 肥後の守 」
山﨑 秀子(川崎市麻生区)
手元に置いてある筆入れの箱の底に「肥後の守」という折りた
たみ式の古いナイフが入っている。これは大正十四年、私の小学校入学祝いに父が買ってくれたもので、長さ十センチのさやの中に鋭く光る刃が収まるようになっている。「肥後の守」という名から想像するに、熊本で作られたものなのだろうか。
一年生のときから、このナイフは鉛筆削りにはなくてはならないもので、高学年になってからは、当時は手工といった工作の授業に役立っていた。
不器用な私の削る鉛筆は、ただ芯が出ていて書けさえすればいいという不細工なものだったが、器用な子は友だちのものまで預かって、見事な形に仕上げていた。親任せの子の鉛筆はいつも美しく削られて筆入れに並んでいた。だが、クラスの大半は刃物で指を傷つけることもなく自分で整えていた。
専業主婦となり、年を重ねていくにつれて書くことに縁遠くなり、ボールペン一本で足りて、鉛筆は無用となっていった。
ところが、七十歳過ぎてからエッセイを書き始め、八十歳半ばで色鉛筆のイラスト画を描くようになり、下書き用に鉛筆を使うことが多くなった。長い間眠っていた「肥後の守」が再び脚光を浴びてきた。
さやは手垢で汚れて錆付いているが、八十五年の間一度も研いだことのない刃は、昔のままに銀色に輝いている。それにひきかえ、老いた私の指は年ごとに力が衰え、さやから刃を出し入れするたびに痛みを感じる。それでも私は文房具店に並ぶ大小さまざまな便利な削り器を買いたいと思ったことはない。
生き生きと輝く「肥後の守」を手のひらに載せるたびに私はこう言う。
「これからもよろしくね」