「 思い出のメロディ 」
佐藤 真子(杉並区)
何気なく点けていたテレビから流れてきた曲に、思わず耳をそば立てた。CMのバックにかかっていた昭和レトロ調のその曲は、30年近くも前に好きだった曲であった。
中学生だった当時、世はフォークソングブームだった。私も家にあった古いクラッシクギターにフォークギター用の弦を張り、ラジオから流れる曲を片っ端からテープに録音しては気に入った曲をノートに書き写し、見よう見まねの手探りで伴奏用のギターコードを振って手製の歌集を作り、繰り返し飽きずに弾いたり歌ったりしていた。30年ぶりに耳にしたその曲は、そんな曲の中の一つで、今となってはタイトルも歌手もわからない。
もう一度、ちゃんと聞いてみたい――、
そう思いさえすれば、今は便利な世の中である。あっという間にその曲名と歌手を突き止めることができ、近くの店でCDを手に入れることができた。
早速聞いてみた。間違いなくこの曲だ。脳内のいったいどこに仕舞い込まれていたのか、30年経った今でも、すらすらと歌詞と
メロディが口をついて出てくる。
しかし――。
どこかに微かな違和感がある。なんと言ったらよいのだろう、良い感じに古びて手になじんだ古道具が、いきなりぴかぴかの新品同様にクリーニングされて目の前にあるような、そんな感じと言ったら、それに近いだろうか。曲は確かにその曲だけれど、何度も弾いたり歌ったりするうちに、使い込んだお気に入りの道具のように、いつのまにかどこかが少しずつ、自分の感覚やリズムに馴染んでしまったらしい。
もう一度聞きたいと思ったこと、それを実行したことを、後悔してはいない。けれどCDを聞くたびに、ずっと記憶の中に仕舞われていたその曲の、何かが少しずつ書き換わっていくような気がして、それがふと名残惜しいような、そんな気持ちになったりもするのである。