「 本を読む女 」
鈴 木 敬 子(杉並区)
夜の巷に「焼き鳥」の看板はよく見かけるが、阿佐ヶ谷駅のガードから道一本隔てた飲み屋街に「焼きトン」と書かれた旗がなびいていた。小さな店に似つかわしくない巨大な換気扉から、もうもうと煙が出ている。
醤油と肉の焦げた匂いに誘われて店に入った私たちは、カウンターに座り焼酎の水割を頼んだ。焼きトンは初体験という私を、飲ん兵衛の男友達が連れてきてくれた。
焼きトンとは、きれいに串に刺されテラテラとおいしいそうに焼かれた豚の内臓肉なのだ、と分かった頃にはもうすでに四、五本の串がお腹に収まっていた。新ジャガやアスパラ、ネギ、ニンニクの芽などが色鮮やかに盛られ、炭火で焼かれるのを待っている。
タン、ハツ、ガツなどの肉も野菜も全部一本百円である。どれもこれも注文したくなってしまう。
カウンターの隅の席に若い女性が飲みながら熱心に本を読んでいる姿は、すこし前に気がついていた。
「あの女の子の連れ、遅いね」
と、二杯目のグラスを傾けながら男友達が言った。
「連れ?そんな人来ないでしょう」
私は確信をもって答えた。それでも彼は気になる様子である。
「どうして?」「ひとりでこんなところで本を読んだって落ち着かないだろう」「振られたのかなー」
などと心配している。
女同士、飲み屋で楽しむ姿が見られるようになって久しいが、ひとりで本を読む場にこういう所を選ぶ女性はめずらしいかもしれない。その女性は空のジョッキを前に出しお替りを注文して、慣れた手つきで焼きトンを口に運ぶ。気取りも恥ずかしげもなく、落ち着いた所作である。ここで本を読むのが一番楽なのだろう。
仕事を終えてほっとくつろぐひと時、ひとりで楽しむのは、なにもおじさんだけの特権ではない。
「まだ来ないね」
あきらめきれないでまだ心配しているおじさんには、ひとり本を読む女の気持ちはわからないだろう、とふと思った。