第 3119 号2008.08.11
「 香りの記憶 」
菩 提 樹(ペンネーム)
息子が中学生のある日、学校から帰宅していつものように洗面所に直行すると、しばらくして、「なんだか懐かしいにおいがする」とつぶやきました。足元には、昨日使った入浴剤の包みが捨てられたゴミ箱がありました。パッケージの絵の可愛らしさにつられて買った、ドイツのリンデンバウムの香りの一包み。我家のお風呂には香りが少し強すぎると思ったその入浴剤の紙包みは、中身が無くともなお、ほのかな香りで洗面所を満たしていました。
懐かしい?・・・その言葉を合図に、私の記憶の扉はすーっと開かれました。
息子が生後半年から二年ほどの間、我家は北京の古いホテルに住んでいました。その昔、ロシアの進駐軍が建てたという石造りの集合住宅。何十棟も連なる中で、私達の棟は、入口を入るとまず、いつも漂う独特の香りに迎えられるのです。どうやら一階に住むドイツ人のお宅からのものと思われましたが、それが一体何なのかは全く分かりませんでしたし、昔からそこに染み付いた、「私達の棟のにおい」となって、もう誰も気に留めなかったと思います。
そうだ!あの香りだ!
・・・よちよち歩きの息子が三階の我家まで、手を引かれてゆっくりと階段を上がって行く・・・イー(いち)、アー(に)、イー、アー、覚えたてのかけ声まで聞えてくる・・・
記憶は一瞬にして古い石造りの家へ、そして昨日強すぎると思った香りは、たちまち懐かしい香りへと変わりました。
さて、今は社会人となり家を離れている息子ですが、どんなにおいをきっかけに、我家を想うのでしょうか。