「 「母ブランド」定期便 」
般 若 湯(ペンネーム)
日曜の朝、9時ちょうど、家の前に小型トラックの止まる音がする。「ひょっとして、わが家か。」インターフォンがなり、宅配便を告げる声。印鑑を持って玄関に走る。
実家からの月に一度の定期便だ。よっこらせと、かけ声を出して運び入れ、家族にうれしい荷物が届いたことを知らせる。米や野菜、じゃがいも・さつまいも・たまねぎ…。季節の栗や柿も。
それに子供達のためのお菓子や石鹸などの日用品まで詰まっている。
東京で所帯を構えてから、ありがたい定期便も二十年近くになった。いつまで経っても母の子であることを思い出させてくれ、思わず笑みがこぼれる。ひとつひとつ取り出すうれしさは、スーパーで手にするときと全く違う。
お米は待望の新米だ。輝いているようにさえ見える。そういえば3年くらい前から、土釜で炊いているが、やってみると簡単で美味しく、不精な私も、ときどきやるようになった。大げさかもしれないが、これが結構、生きる自信につながっている。故郷で作られた新米を食べているんだという恵みと相まって。
そんなうれしさとともに、なんともいえない安心感。作物が育った土地や、作ってくれた人の姿がありありと眼に浮かぶ。栗や柿は、子供のころ庭先でよく採った。
そして、これらが幼い時代から自分を育ててくれた食べ物そのものであることは大きい。人間は周りの自然の中に育つ。まさに「自然の恵み」であり、「おふくろの味」を作ってきたものだ。
宅配便の中に入っている母の手紙。家族は健康であるかと心配するだけのたった数行の手紙でも、思いが届く。
こんなモノがあふれる時代だが、われわれがいただいているのは、モノそのものだけではなく、そこに込められた「思い」もである。
定期便で届く「母ブランド」は、いつしか、何ものにも代えがたいものになった。