「 良 心 箱 」
岩 本 勇(杉並区)
その大きな家の前には、いつも旬の野菜がテーブルの上に並び、設置してある箱に百円を入れて客は持っていくようになっていた。
それはよくある風景で、広い土地持ちの旧家などが遊ばせの土地を有効利用するためにささやかな農業をやり、その収穫物を一般に提供するというものだ。私はその家の前を自転車でよく通るのだが、百円均一という安価と取れたての新鮮さということにいつも目を奪われた。しかし、自転車を停めてそれを買い求めるということはしない。
それは店がいつも無人ということが理由だ。
不正を働こうという意志は毛頭ないのだが、小心な私は、この箱の中に私が百円入れたかどうかということを、万が一誰かに詮議されたらどうやって無実を証明しよう……などと余計な想像をしてしまう。
ところがある夏の夕、いつものようにその家の前に差し掛かると、あるじを思われる初老の男性が涼みを兼ねてなのか、持ち出してきた椅子に腰掛けていた。穏やかそうな風貌に安心感を憶え、私は自転車を停めた。
「今日はこれぐらいしかなくってね……」
と、彼は申し訳なさそうにテーブルの上の茄子を指し示した。
私は、今日の晩はこれを使って茄子焼きを作り一杯やろうと既に内心で計画を立てていたので、それで充分だった。
ビニール袋に入った立派な茄子を自転車の籠に入れて走りながら、なかなか感じのいい人だったな、これからもちょくちょく利用しようと決めた。
ところが何日かたってまたその家の前を通り掛かると、その日はあるじの姿はなく、代わりに一枚の紙切れが箱に貼りつけてあった。
「お金を入れないで野菜を持っていった人がいますが、その人は自分の良心をこの箱の中に入れて下さい」
と、あった。
私はわずか百円の金に不正を働く者を情けないと思いつつ、そのユーモアに感心した。