「 心の小箱 」
児 玉 千 晶(名古屋市)
あれは、いつの頃からだろうか。
抱えきれない哀しみがあるとき、心の小箱にそっとしまい、胸の奥深く沈めた。そして、その存在さえ忘れるように努めた。そうすることで、日々の生活は穏やかに晴朗に過ぎていった。
23年前に逝った父の胸のうちにも、そんな小箱があったような気がする。
父は早稲田大学の学生だった時、志願して入隊した。
中国に渡り、背中の小さな傷が化膿して手術のため病院にいたこともあったらしい。中国人の看護婦さんはとても優しかったと話してくれた。父は二重瞼の大きな瞳で、はにかんだように笑うところがあり、歳も若かったから可愛がられたことだろう。
食卓でよく母に「ご飯はゆっくり召しあがってくださいね」とたしなめられる度に、「軍隊じゃあ、みんなこうだったよ」と言っていた。
3ヶ月前に先立った母を追うように、くも膜下出血で父は亡くなった。その通夜の席ではじめて叔父から、父が特攻隊にいたことを知らされた。その二ヶ月後、父の死を待っていたかのように、特攻隊員の記録本が隼会から届き、父の名も記されていた。
父は特攻隊にいたことを、一度も私たちに言わなかった。
母だけは知っていたのだろうか。父が語ってくれた戦争の思い出は、言うなれば氷山の一角で、表面にでても差し障りのない、ほんのわずかな部分でしかなかった。そして、海面下にある凛冽とした氷塊の、片鱗さえ見せることなく父は逝った。
終戦の日、父の胸に去来したものは何だったのだろう。
私の知っている父は、無口で、いつも穏やかな優しい人だった。
父は、どんな想いで終戦の日々を過ごし、その胸に何を抱きつづけていたのか。
父の心の小箱に納められていたものは何だったのか。
それは、今となってはもう誰にも解くことのできない、もしかすると父自身にさえどこか冥冥とした、心の秘密だったのかもしれない。