「 母の頭の中にある家 」
岩本 勇(杉並区)
年に何度か、故郷の老人ホームに入っている母を訪ねていくことがある。
年が明けると八十才の大台に乗る母は、年々記憶の混濁がひどくなり、この頃は私のことを弟だと言ってホームの同居者に紹介したりする始末だ。
そんな母が、私が訪ねていく度に確認することがある。それは自分が生まれ育った実家のことである。自分の嫁入り先、つまり私の生まれ育った家のことは何一つ気に掛けることはなく、「誰も住まなくなった家は傷みも早いね」などと私が建物の現状を話しても、気のない返事をするだけである。今の母にとって家というのは、嫁入りした家の隣町にある実家のことであって、「あの家はどないなっとる?」と毎度毎度尋ねてくる。
私も何年もその家に行ったことはないのだが、そこには母の弟の奥さんが、娘たちを嫁がせ亭主を見送った後一人で暮らしている筈である。
私はその内、車の免許を持っている妻を東京から伴ってきて、歩行も困難になった母をその家に連れて行こうと計画していた。
ところが、前回行った時のことである。五年前父が亡くなった時以来会っていなかった叔母さんを久しぶりに訪ねていくと、叔母さんは意外なことを口にした。
「あの家、もうあらへんで…」
母の生まれ育った家は跡形もなく、そこには既に他人の家が建っているらしい。
「そんなこと姉ちゃんに言うたらあかんで…」
母が戦前、戦中、戦後のつらい時、楽しい時を過ごした家は、もうないのである。
昭和三十年代、母の母が路上売りで残ったスイカや瓜を井戸端で冷やし、里帰りしているまだ若い母の傍で幼い私がその祖母の肩を叩き、百回叩いて十円もらっている光景が浮かんできた。
東京へ帰る前日、毎度おなじみの質問をする母に私は淡々とした口調で言った。
「なんも変わっとらへん。昔のまんまや」