「 枯 野 」
山 中 れい子(ペンネーム)
飼い犬の次郎太はオスの雑種である。散歩が大好きなので、長い時は一時間ということもあるが、人間の私の都合で、庭を走り回るだけで終わることもたびたびである。気が向くと学校の運動場ほどの草むらに連れて行く。人影もなく「痴漢に注意」という看板がところどころにかかっている。周囲は手付かずの柿畑で、土地持ちの人の税金対策であろう。
夏は暑くてその草むらには立っていられないが、秋から冬にかけては一面の雑草も枯れてしまい、歩きやすくなる。次郎太は、この広い草むらを走ったり、寝転んだりするのが気に入っているようだ。
夕方の大体同じ時刻に散歩するのだが、このところ老犬を連れたおじいさんによく出会う。その老犬があまりにゆっくりと歩いているのが気になって、何回目かに会ったときに聞いてみた。「犬の具合が悪いのですか?」
「いや、病気じゃなくて年でしてね。もう18歳ですわ」とおじいさんはゆっくりとした口調で答えた。
「え?18ですか。うちのも14ですが」と私が言うと、
「すぐにこうなりますよ。そのくらいの時にはこの犬も元気でしたから」と次郎太に目をやった。老犬は耳を後ろに寝かせ、尻尾を下げて、ふざけようとする次郎太を一瞥し、たんたんと前に向かって歩いた。次郎太はと言えば、枯れた草に鼻を突っ込んだり、老犬の周りを飛び跳ねたりした。
老犬はうるさがるでもなく、「若造がふざけているわ」と広くて、やさしい眼差しを向けるだけで、またゆっくりと前に進んで行った。
「この原っぱが好きでしてね。よくこちらに来るんですわ」とおじいさんは哀れそうに老犬に目をやって「長年世話をしていると、こいつの気持もわかりますよ」と今から向うことになる自分の老境と重ね合わせているように聞こえた。
夕焼けの残る空には、刺すような三日月と宵の明星がくっきりと姿を現した。そして葉がすっかり落ちた柿の木が、裸の枝を夕闇に映し出していた。振り返ると、枯野に立つおじいさんと老犬が、かすかに残る夕焼けに浮かんで見えた。