「 アルマイトの鍋 」
佐 藤 美智子(仙台市)
「今朝、母が亡くなりました」友人Sからの連絡が入ったのは、町全体がどんよりと湿ったような朝だった。
Sの母は数ヶ月前にスキルス性の胃癌と告知され、県南の小さな病院に入院していた。「手遅れなのよ」何度Sに言い聞かせても「大丈夫です。きっと治ります。だって今迄だってずっと母は一人で頑張って来たんですもの」Sは何かにとりつかれたように言い続けた。
30数年前、Sの母はSと生まれて間もない妹を連れて、婚家を出た。看護師として働く母は、毎日のように彼女たちに「お土産」を持って帰った。病棟でもらったお菓子やケーキをちり紙に包み、大事そうに持ち帰る母だった。クリームの取れかけたケーキでも砕けてしまった饅頭でも、彼女たちにとっては最高に上等なおやつだった。
夕方、淋しげな様子の妹に「もうすぐお母さんがおいしいおやつを持って帰って来るからね」とSはお姉さんぶって妹に言った。
「母だって他の看護師たちと一緒に食べたかったでしょうにね。」葬儀が終わった後、Sは大粒の涙を流しながら言った。
入院する前日、母はSと妹に「これ以外は何も残してやれないね。」と言って、二人にそれぞれの誕生石の入った指輪を手渡した。「お母さんの分がないじゃない。」Sは涙を気取られないように、無理にはしゃいで見せた。
四十九日が過ぎ、母の部屋を片付けていた時、Sは台所の棚に懐かしい鍋を見つけた。Sたちが小さい時から母はカレーもおでんもこの鍋で作ってきた。至る所、ひしゃげてはいても、手入れの行き届いた鍋だった。
きっと母はSたちが巣立って行った後も一人で、この鍋で料理をこさえていたのだろう。Sは「お母さん」と呼びかけて長い時間泣いていた。
Sが母と暮らそうと思い買った真新しいマンションのキッチンの棚に「恥ずかしいなあ」とでも言いたげにアルマイトの鍋が並んでいた。