第 3066 号2007.10.28
「 春菊の天ぷら 」
吉田 康則(千葉県木更津市)
35年程前。東京での僕の下宿生活は、4年になろうとしていた。毎月末、送られてくる仕送りに感謝しつつ、大半が下宿代、書籍代など決まった出費に消えてしまい、食事は質素なものとならざるを得なかった。地方から上京し、下宿生活を送る僕たちにとり「食」は、憧れであり重要な関心事であった。
朝夕、通学途中に通る繁華街には和・洋食の芳しい香りが溢れていた。
「美味しい天ぷらが食べたいなあ」新宿の街を歩きながら、長野出身のQ君の呟いた一言がきっかけとなり、僕達の企ては一気に具体化した。「海老や魚は無理でも、春菊なら何とかなる。そうだ!皆で春菊の天ぷらを作ろう」各自の役割は程なく決まった。場所を提供するのは僕。Q君の他、仙台出身のO君、京都出身のM君、自宅通学のH君とN君が、春菊、小麦粉、天ぷら油、米、酒を持って集まった。準備と後片付けは隣部屋の沖縄出身Y嬢をくどき落とした。
水で溶いた小麦粉に春菊を入れ、登山用コンロに乗せた鍋の油で揚げただけではあったが、7人は四畳半で肩を寄せ合い、「美味い、美味い」を連発しながら空腹を満たし、隣近所の迷惑も顧みず、深夜まで語り合った。
その後、僕達は社会人となり、美食に接することも珍しくなくなった。
それでも僕は、あの日、口にした春菊の天ぷらの味を忘れることが出来ない。親友達との絆を強めた「春菊の天ぷら」が、今でも楽しい思い出として記憶の片隅に残っている。団塊の世代として時代を駆け抜けてきた僕達は、まもなく組織人としてのゴールに辿り着く。久しぶりに友人達に声を掛けてみようかとも思う。春菊の和え物も良い。しかし、春菊は天ぷらが一番である。