第 3064 号2007.10.14
「 32にして夢を持つということ 」
藤野 かなえ(大田区)
年がいもなく、と笑われるだろうか。実は私自身、夢を持って頑張っています、という人達を、うさん臭い目で見てしまう人種だ。明るく、夢を追いかけて輝いている人の光が私にとってあまりにも、眩しいのかもしれない。
その私が、だ。今までバカにしていたものをしっかりとこの手ににぎってしまった。3人の子供達を抱え、忙しい毎日の中、時間を見つけては、せっせと童話を書いている。
最初は、お気楽な遊びのうちだった。上の小学生二人に読んでやると、それなりの反応を示してくれるのが嬉しくて。どんどん夢中になっていくうちに、人の欲とは恐ろしいもので、おこがましくも、人様にも読ませてみたい、と思うようになった。一番下の赤ちゃんの昼寝のわずかな時を逃さずに、夜の寝かしつけの、その後に、せかせかと、慣れないパソコンの前に、私は座る。つたない文章で頭の悪さに絶望する事は、数
限りない。あまりのつまらなさに、何度涙してしまったことか。しかし、気がつくと、やっぱり画面をにらみながら、言葉を探している。
そんな私の姿を見てか、何も言わず、見ざる、聞かざる(そして読まず)の夫が変わった。
「少しそれ、見せてみろよ。」とか、「こんなコンクールがあるけど、どう?」だの。彼なりの応援は、私を元気づけ、そしてまた調子づかせてしまう。
世界中の子供達が、ドキドキして一息で読めるような、そんなすてきな物語が作りたい。少し青くさいけれど、32にして夢というものを、持てた私はラッキーだった。夫に感謝、子供達に感謝である。
まだまだ小さな卵だ。けれど、いつか大きな鳥になって、世界の青空をはばたく日を待ちながら、大切にあたためよう。
夢なんて、と冷めた目をしているあなた。結構、捨てたものではないですよ。