「 庭の記憶 」
匿 名(東京都狛江市)
居間で、一匹のトカゲを見つけた。まだ子どものそれは、想像以上の素早さでソファの上を駆け抜け、姿を消した。
平日の夜、女ばかりだった我が家の居間は、当然のことながらパニックに陥った。恐る恐る家具を動かし、走り出てきたトカゲに絶叫する。
その繰り返しである。結局、10分にもわたる大騒ぎの挙句、ゴム手袋をはめた母が決死の覚悟でトカゲをつかみ、外へと逃がしてやったのだった。
この家で共に暮らしていた祖父は、15年前に亡くなった。当時の家には縁側があり、庭には今よりも多くの木が植わっていた。家で仕事をしていた祖父は、天気の良い日には窓も縁側も開け放ち、私はよく庭におりて遊んだ。木と土があれば、鳥も虫も集まるものだ。庭には、たくさんの生き物がいた。もちろんトカゲも。
あの頃の私にとって、それは日常だった。木や鳥や虫は、いつも身近にあった。赤く色づく椿、松の木の緑、さくらんぼが何より好きな姉のために父が貰って来た桜、そして、十年以上花をつけない銀木犀。その下で、雀やめじろ、トカゲやバッタが生きていた。今はない銀木犀は、祖父が亡くなる前に、十数年ぶりに、真っ白な花を咲かせた。
あの頃は、小さな虫も、トカゲやヤモリも、少しも怖くはなかった。
それは、私が子どもだったからだろうか。それとも、私の傍に、いつも祖父がいたからだろうか。庭の記憶の中には、いつも祖父がいる。どんなときも、庭から呼べば、祖父はすぐに来てくれた。祖父と一緒に、鳥や虫を眺めた。
今、家の周りからは緑が減り、私が庭におりることも稀だ。虫を身近に見る機会などあろうはずもない。けれど、庭には今も、たくさんの生き物がいるようだ。居間に迷い込んだ小さなトカゲは、それを教えてくれた。そして、私の中の、祖父と庭の記憶を、呼び覚ましてくれた。
今度トカゲを見つけたら、あの頃のように眺めることができるかもしれない。ただし、やはりトカゲには、外にいてほしい。