第 3051 号2007.07.15
「 いろいろあってこそよいのに 」
高木 克彦(新宿区)
先日、友人とのおしゃべりの中で、何が切っ掛けであったか、梅干しの話になった。
友人によると、最近、本物の酸っぱい梅干しを買うことが出来なくなった。どこの店でどのメーカーのものを見ても甘味料を使っているというのだ。
「昔ながらの梅干しはどこへ行ったのか」と嘆く友人に、私は自分がどんな梅干しを食べているかには何も触れず、ただ「へえ、そうなんだ」
と相づちを打っていた。実は、半月ばかり後にまたその友人と顔を合わせることになっていたので、我が家で手作りしている梅干しをプレゼントしてびっくりさせてやろうと思い、黙っていたのである。
次に会ったときに「正真正銘、余計なものは何一つ入っていない我が家の手作り」と言って10粒ほどの梅干しをプレゼントしたところ、友人はえらく喜び、「早速味わってみる」と持ち帰った。そして翌日、「久しぶりに梅干しらしい梅干しを食べた」と、お礼の電話があった。
ミカンの質を糖度一本槍で評価するようになったのを皮切りに、イチゴもブドウもリンゴも、みんな甘いものがいいということになってしまった。甘いもの、酸っぱいものいろいろあるからこそ味わう楽しみがあると思うのだが、どうして甘いものばかりが好まれるようになったのだろう。
人間だってそうだ。個性尊重と言いながら、流行ばかり追いかけて、結局まわりと同じでないと気が済まない人間が増えている。
本当に不思議な世の中になったものだ。