「 人生の終着駅 」
植村 あや(港区)
夏を前に仲良しのお隣さんが引っ越してしまった。
夫婦とも70代、都心の暑さがもうたまらなくなって、長年住んだこのマンションを処分し、軽井沢に移り住むということ。
我が家は都心ではあるが、一歩大通りから入った築35年のマンションの1階。お隣さんとは庭続きになっている。お隣さんはうちとの境のマンションの無骨なコンクリートの柵に、自作の木製のラティスを張って、その上にクレマチスをしげらせていた。5月にはいり香りが今年も流れてきた。先日も「庭のみかんにアゲハチョウの幼虫がいて、さなぎになったから、家に入れて羽化を楽しんだのよ」と教えてくれたばかり。このマンションを愛し、日常を愛している様子がすごく伝わる人たちだった。
「ここの暮らしは大好きだったけど」と、ため息。自分たちの年、体力を自覚し、きちんと引越しできるうちに、と今回の選択をしたそう。
私はまだ35歳。想像することしかできないけれど、このように「人生の終着駅」を意識し、計画的に意思を持って進んでいくことは大変なことだと思う。年齢を重ねるにつれ、必要なことも必要なモノも絞り込まれている。でも、多くの人が、もはや必要でないものを持ち続けたまま、自分が死に近づきつつあることから目をそらしつつ、生きていってしまうのだと思う。
彼らが今回、家を手放すにあたって、大事にしたのは「私たちの家を大切に住み続けてくれる方に譲りたい」ということ、価格は二の次だったそう。「次の人たちもいい方だから安心よ」と、やさしく笑って話してくれていた。
あんなにいっぱいお話したのに、引越しのバタバタで、あわただしく挨拶をして、さようなら。
お隣さんの家から人の気配がしない。しんと静かな廊下。生まれて3ヶ月の我が子の寝顔をみつめながら、物思いにふける初夏の夕暮れ。お隣さんの残したとちの木の若葉を、風がここちよくゆらしてくれる。