第 3043 号2007.05.20
「 親馬鹿 」
児玉 和子(中野区)
たいしたものではないが、便利な形なので重宝していた灰皿があった。
粗忽者の私は灰皿の角を欠いてしまった。
ボンドで継ぎ合わせると継ぎ目はどこ?と言った仕上がりに満足しているところに、小学三年の息子が帰って来た。「ホラ見て」、私は継ぎ目をを示し「もと通りでしょ」と言うと息子は言いにくそうに「うん……。だけど謝ったほうがいいよ。僕も謝ってあげるから」と、言った。泣かせてくれる。
灰皿を使うのは夫なので、夫のものと言えば言えるが、私には家庭雑器である。
夫の目を誤魔化そうと思って継ぎ合わせた訳ではないが、息子の申し出に従った。
夜、夫が帰宅すると息子は玄関に走り出て、「あのね、ママが灰皿割っちゃったの、ごめんなさい」と言って深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」私も神妙におじぎをしながら、戸惑う夫に目くばせをした。
息子の寝たあと、親馬鹿二人は、息子の正義感を喜び合い、この正義感をいつ迄も失わないで欲しいと願ったものである。
その息子も今や社会人、先日の母の日に、カーネーションを一本ぶら下げて帰ってきた。「出世して、養育費と一緒に、ドカッとお小遣いあげるね」
と「絵に描いた餅」を贈ってくれた。そして「ああ、それから、大学の頃、時々財布から借りたよ。それも一緒に出世払いね」と、のたまうのだった。
まるで二、三日前に無断借用した小銭を思い出したとでもいうように……。
灰皿の時の、あの純真さと正義感は何処にいってしまったのだろう。
だが、無断借用はずっと心にひっかかり、それをこんな形で告白したのだ。
私はこれを懺悔と受けとり、
「ま、いいか」と、しめくくる。
親馬鹿は、いつまでたってもなおらない。