第 3026 号2007.01.21
「 福寿草 」
B・H(東京都国分寺市)
誰一人子育てに苦労しない親はいないだろう。若かった私はそんな事に何も気づく事無く、4人の子供の母親になった。
可愛い、可愛いと生んでしまったが、思春期の時は親子の葛藤、家出騒ぎ等もあった。しかし成人してからは新しく息子二人が家族となって、お陰で家のペンキ塗りも家族だけでできてしまった。
子育て、子供の結婚という嵐の様なめまぐるしい日々も一段落したその年の2月、私は救急車で運ばれた。クモ膜下出血による手術。丈夫だけが取得の私が、一時は階段も降りれない状態に自分を疑った。リハビリによって90%回復した私は十何年来の夢だった体重を実現させていたが何だか心細い。強風でも吹けば倒れてしまうのではないか?
あれを頂いたのは丁度その頃の事だった。年が明けた春に、色彩の乏しい時季に花を咲かせる福寿草だという。礼を言って埋めてはみたが私の心には一末の不安があった。「私は年を越せて、この花の咲くのを見れるのだろうか?」
だからこそ、お正月が過ぎ1日1日指折り待ったある朝、いぶし銀の様な黄色い花が咲いた朝、私は本当に嬉しかった。生きてるって事はこんなに嬉しい事だったんだ。寒い朝だったが何とも言えない幸福感に、心の中は燃えた。
福寿草の落ち着いた黄色の花色はそんな私を祝福して七つも八つも咲き始めていた。私の明日からの歩みを祝福して…。