「 海峡の町の思い出 」
石 川 文 夫(東京都国立市)
冬になると毎日大陸から冷たい季節風が吹き荒れる。高台からは眼 下に関門海峡、白い波間にたくさんの船が行き交う。ここは私が今から約40年前少年時代の一時を過ごした下関の町である。下関は東京育ちの子供にとって途方もなく遠い場所に思えた。ブルートレインの寝台車で不安な思いで父の手を握りしめた。翌朝列車の窓からは秋の空の下で黄金色に輝く稲がなびく水田が見えた。
転校して2日目には覚えた山口弁、裸足で走った運動会、自転車を乗り回した広い校庭、毎日、夕刻5時になると市役所から町に響き渡るユーモレスクなど思い出はつきないが、その中でも忘れられないことは恩師、林先生との出会いである。環境が変わった生活の中で登校拒否にもならず友達の輪の中で楽しい学校生活がすごせたのも、陰になり日向になり面倒を見てくれた林先生のお陰である。数年後、東京へ戻ってからも文通をしつつ長くお付き合いをいただいた。社会人になり20年振りの対面でお宅を訪問したときは、嬉しそうな顔で話を聴きながらおいしいふぐの刺身をご馳走してくれた。先生をする為に生まれてきたような人だった。しかし、悔しいかな墨で書いた達筆の年賀状は3年前から見ることができなくなった。今でも瞼の下には先生の理科の授業や、工作の時間にこめかみに血管を浮かばせるほど真剣にのこぎりを引いている横顔を思い出すことができる。
潮風の香りする唐戸の魚市場、古の時代へ心を誘う平家滅亡の地壇ノ浦、この海は日本の歴史の大きなうねりを見つめてきたのであろうか。
かつての平家の栄華を呼び起こすような赤間神宮の朱色の艶やかさはいつまでも忘れられない。
今年、私はいよいよ50歳になる。あの頃、下関の町の舞台にいた仲間達は今どう過ごしているのであろうか。父と母と弟の家族4人が懸命に暮らした海峡の町下関に、今度は私がブルートレインに乗って私の家族を連れて行きたいと思う。あの頃の自分に出会う為に。