「 便り 」
土 屋 綾 子(目黒区)
葉書きの片隅に添えられた野の花の水彩画。淡く滲んだ絵の具の朱が目にやさしい。祖父から月に一回送られてくる便りは、花に寄せて季節の移ろいをさりげなく教えてくれる。
「綾子さん、お元気ですか?おじいさんはこの頃・・・」
さん付けで呼びかけてくるのは、東京と静岡との距離の遠さゆえのことか、祖父の真面目な気質によるところのものなのか量りかねるが、その決まりきった冒頭の文面に目を通すとき私には祖父の家の静かな茶の間が見えてくる。祖母と二人、あそこで今頃何を語っているのだろう。この葉書きをしたためるときは、いつものごとく背筋をぴんと伸ばしていたにちがいない。
中学の校長を務めていたという祖父。私が物心つく頃には定年退職していたが、教師としての面影は拭えていない。葉書きに連なる漢字と仮名の比率は、私の成長に伴って変化していったものである。私が中学に上がる頃には、一切の手加減なくして漢字が並ぶようになり、ただ時折ためらいがちにルビが振られていたりした。「お勉強はきちんとしていますか?」そんな問いかけもしばしばで、私はいつもこそばゆく思いながら「勉強の方はがんばっています。」と返事を書いたものだ。
そんなしゃんとした祖父からの便りが、今回はどことなく弱々しく勢いを感じさせなかった。足腰が弱ってきて畑に行くのが億劫になってきたという。ただ土地を寝かせておくのは勿体ないといって、祖父は農作業を趣味のごとく続けてきた。作ったところで食べきれないと渋る祖母をよそに、長年精を出してきた野菜作り。幼い頃は夢中になって収穫を手伝ったものだった。スモックに長靴という出で立ちで、祖父が押す一輪車にちょこんと乗っかり、小さい私は畑に繰り出したのだ。そして、目につく植物の名を片端から祖父に尋ねた。
葉書きに描かれた花の名を知りたい、と唐突に思った。気づけば私は便箋を取り出し、祖父宛に筆を執っている。