第 3017 号2006.11.19
「 運 」
夏 野 こつぶ(ペンネーム)
子供の頃から、運のいい方である。とは言っても、運に恵まれない他の家族のメンバーに較べての事で、商店街の福引きで、2、3、等が当たる程度のもの。それでも「私は運がいいから大丈夫」と根拠のない自信で子供時代を過ごし、こんなはずではと現実に気づいたのは大人(と云われる年齢)になってからのこと。以後「棚ぼた式の生活」あきらめたが、ごくたまに幸運が舞い込むことがある。8年前、雑誌の「今月の当選者」欄に自分の名前を発見した時のこと。バンザーイ、これは嬉しやと待てど暮らせどマーガレット・ハウエルのセーターが来ない。なかった事にするには商品が魅力的すぎる。そこで、おずおずと「あの名前は私のことかと思われますが…」と問い合わせの葉書を書く。
はたしてセーターは無事届き、今でも一番好きな大切なものとなっている。この頃になると、めったに起きない小さな事故(ミス)が自分の身に起こりがちだなあという気がしてくる。3年前、嵐山光三郎氏不良俳句を募集しているのを(投句者が少ないー嵐山氏記)知り、拙句を投句。運良く「嵐山賞」をいただいて、商品はワインと署名入りの著書のはずだった。さっそく届いたワインのお礼はメールで送り、ご著書が届いたらあらためて、礼状をさしあげようと考えていたところ、届かない。サイン会など縁のない田舎に住んでいるので、著者のサイン(それも不特定多数にではない)はなんだかドキドキ嬉しくて、ワインより楽しみにしていたというのに。 でも、なににもまして「礼状もよこさず、中年にしては失礼なやつだなあ」と思われたであろう事が悲しい、つらい、不運である。
ところで、いまだ結婚をせずひとりなのは、私にとって、運がいいことか悪いことか、わからない。