第 3010 号2006.10.01
「 冥途の土産話 」
小 僧(ペンネーム)
いつの頃からだったろう?
ふとした瞬間、頭の中になんの脈絡もない映像が浮かびあがるようになったのは・・・。
それは、とても不思議な感覚だ。
夕ご飯のサンマを食べていると、小学校の下足棚が浮かんだり、お風呂に入っていると、 大学の頃によく通った喫茶店が浮かんできたり・・・。本当に、今自分がしていることとも、考えていることとも、なんの関係もない、様々な映像が頭の中をよぎるのだ。
はて、これは自分だけのことなのかしらん、と同世代の友人に尋ねてみると、「それは老化現象だってさ。頭の中の引き出しの整理がうまくいかなくなって、サンマの引き出しに下足棚が紛れ込んだりしていて、サンマの記憶を取りに行ったら下足棚の記憶を拾ってしまったりしているんだ。」という。
なるほど老化現象か、と、自分だけでないことに少し安心しつつ、少々落ち込んだりもした。しかし、これが慣れてくるとなんだか結構楽しい。最近は、それを楽しみにしてさえいる自分がいる。
昨日は、散歩中にもう何十年も会っていない名前も覚えていない小学校の友達が、今日は、妻との会話中に今はもう人手に渡り改装されてしまった子どもの頃育った家の階段が浮かんだ。
そのたびに、ああ、あいつとよく遊んだなぁ、その階段から落ちてケガをしたけっ等と、偶然頭に浮かばなければ、思い出すこともなかったかもしれない記憶の世界に入り込んでいってみる。
忘れられ、埋もれていた記憶を、年をとると自然に思い出すように作られているのだとしたら、神様もしゃれたことをするものだと思う。
この年になると記憶は自分の生きた証だ。残り少なくなった人生の中でその宝物を少しずつブラッシュアップして整理し、いつか旅立つ日の荷造りをしておくことができるのだから。