第 3008 号2006.09.17
「 おばあちゃんとミルクホール 」
長 井 文(台東区)
私の両親は弟家族と同居し、孫は中学生、小学生、幼稚園と賑やかだ。
私にもおじいちゃん、おばあちゃんとの思い出がある。同居はしていなかったけれど、私が遊びに行ったり、泊まりに行ったりした。時には、おじいちゃん、おばあちゃんが家に遊びに来たり、泊まっていったりもした。でも、いつも、ふらっと来て、すっと帰ってしまう。
それが当たり前だった。
おばあちゃんは煮物が上手で、肉じゃがはほっくり煮あがりとてもおいしかった。真似をして作ってみて味見をしてもらうと「おいしいけど、こっちはどうだい。」と言って、調味料を少しだけ加える。すると、ずっとずっとおいしい肉じゃがになった。
おばあちゃんと散歩すると何だかうれしかった。ふらっと店に入って店の人と話して、すっと出る。そのくり返し。でも、私は店の人にほめられたり、うらやましがられたりして、何だか知らないけどうれしかった。
ある日「お父さん達に内緒だよ。」と言って、ミルクホールに入った。
ミルクコーヒーとトーストがでてきた。おばあちゃんはお砂糖を何回もミルクコーヒーに入れた。私も真似っこした。甘くておいしかった。
厚く切ったパンがこんがり焼き上がって表面がピカピカしているトースト。ひと口ほうばるとバターの風味が口の中にひろがった。おばあちゃんは店の人と話しながら食べている。店の人が私をほめてくれたり、うらやましがったりしてくれた。私はおいしかった。ミルクコーヒーもトーストも。それからの、おばあちゃんとの散歩は『またあの店に行くのかな』と楽しみになった。
おばあちゃんとミルクホールはもういない。おばあちゃんと一緒に過ごした時間はとても温かい。記憶のかなたの思い出が一枚一枚の写真みたいに切り取られ新たに綴られていく。