「 鳳仙花 」
関 京子(山口県下関市)
今年もまた庭に鳳仙花が咲いた。幼い頃、この花で爪を染める遊びが大好きだった。
大人になった私が、初めてマニキュアをしたのは十九才の夏だった。
ほとんど色のない薄いピンクのマニキュア。私はうれしくて、いつまでも両の手をながめていた。
濃い赤のペディキュアをしたのは二十四才の夏。母についで父を亡くし、一人きりとなった私は、とほうに暮れていた。しかし、父の残してくれた家を守ってゆくために、働き続けてゆかねばならず、その為に、何というか、自分に気合いを入れる意味もあり、思いきって強い色にした。しかし、なぜ足の爪に塗ったかというと、当時の私の仕事が、手先を使う工場の現場の仕事であり、製品を守る為に、マニキュアは禁止されていたからである。
二十代の終わりに私は結婚した。日々の家事、雑事にやっと慣れたと思った途端、一人っ子でずっと育って来た私には全くの未知世界である、子育てがはじまり、その忙しさに、私は好きだったマニキュアのことはすっかり忘れてしまっていた。
三年後、子育てが一段落し、少しばかり戻ってきたおしゃれ心に誘われ、私は久しぶりに濃いピンクのマニキュアをした。しかし、せっかくの美しいピンク色を、わずか三日後におとすはめになった。「そんな色に塗ったら、おふくろの体にさわる。」という主人の一言からだった。当時同居していた姑は、もう二十年も心臓病を患っており、私の爪の色を見るとびっくりして、心臓にさわるというのである。悔しいやら悲しいやら、私は使いかけのマニキュアを小さなタンスの奥にしまい込んだ。
あれから十二年。姑が亡くなって七年。小さかった娘はもう受験生である。
この夏も庭の鳳仙花はあいかわらず色鮮やかだ。四十三才…私は久しぶりにその花を一つつんで、爪を染めてみた。
明日、新しいマニキュアを買いに行こうと思う。どんな色が似合うだろう。