「 わがあこがれの向田邦子 」
相原 百合子(品川区)
私が向田邦子さんのファンになったのは、もう何年も前のテレビドラマがきっかけである。そのドラマはオムニバスで「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」だったと記憶する。
回を重ねるごとに、この作者はすごい人だな、と思った。何処の家にもあるごく普通の出来事を、こんなにも生き生きと、見る者の五感に訴える表現がどうしてできるのだろうか。特に「花の名前」が印象に残った。花の名前にまるで無頓着な夫の話だが、わが亭主とダブっておかしかった。
その後、「父の詫び状」「思い出のトランプ」「あ、うん」などを一気に読んだ。向田作品に共通するのは、理詰めでない物や人の表し方、それがかゆい所に手の届く説得力でぐいぐい読ませる。それに同じ時代を生きた私には、向田さん独特の言いまわし、ご不浄、水菓子、七色とんがらし等、なつかしい響きで心地よい。
向田作品は感情や心理描写を「怒った」「うれしい」等の言葉で書かない。“怒りにふるえ、それを静めるのに多少の時間を要した”と書きたくなったら“たて続けに煙草を三本灰にした末、ポツリと「わかった」と答えた”と書く。
1981年夏、突然の事故死、これでもう新しい向田作品は生まれないと思うと、残念でならなかった。あれから二十年も経つというのに、今も熱い思いが向けられている。やっぱりすごい人だ。これは、あふれるばかりの文才と秀でた洞察力に違いない。それに普通に暮らすことに一生懸命で、非凡と平凡が渾然と一つになって作品をピカッと光らせているのだと思う。
何年か前に都心のデパートでみた「向田邦子展」、会場にいっぱいに向田さんがあった。肉筆の原稿、愛用の帽子やドレス、出口近くに大きな旅行かばんが展示されていた。
向田さんと共に世界中を旅したトランクが、薄暗い照明のせいか、私には哀しく見えた。