「 梅雨の午後 」
T.K(東京都府中市)
「平日のこんな時間なのに混みますね」と突然隣りに座った老婦人から声をかけられた。梅雨晴れ間の金曜日の午後3時、新宿始発の京王線が走り出して間もなくのことだった。「今日は私の誕生日でね。娘たちが私に誕生祝いの食事会をしてくれて、いまその帰りなんです」とのこと。嬉しそうに大きな声でいわれ、私は思わず「まァそれはおめでとうございます。それで今日でおいくつに?」ときくと「大正10年生まれで84才になりました。主人は92才ですが」そして「足の弱い主人は今日はディ・サービスに頼んで出かけて来ました」と彼女は問わず語りが始まった。
「娘たちは何かというとよく私を呼び出して会ってくれます。そのたびに“少しは親孝行したいから”といいます。息子夫婦と私たち夫婦が同居して数年になります。息子たちから“同居させてほしい”といわれたのでそうしたのですが、私たちが動けなくなってから“同居してほしい”と頼むよりその方がいいでしょ?でもそのためにずいぶん我慢強くもなりましたが」とそこまで語られて私は面喰った。どの家庭もそれぞれ様々な事情を抱えているものだ。多分何事にも一所懸命に生きて来た人なのであろうと隣りの人を改めて見つめ直した。そしてそれまでは「そうですか」「ほう」と聴いていた私が「でもこうして健康でいらっしゃるのは本当にお幸せですよ」というと「えゝえゝそうなの。ピンピンコロリとゆきたいわ」とニッコリ微笑んだ。いつの間にか電車は私の降りる駅に着き、この先まで乗るという彼女に「どうぞお元気で」と云って別れた。
私は母のことを思い出していた。長く患ったのち最期まで自宅で家族の介護を受けつつ83才まで優しく気丈に生きた母のことがしきりに恋しかった。逝ってはや17年、元気でいればことし丁度100才である。