「 娘と私 」
佐藤 美智子(仙台市)
今年2月、小雪の散らつく日に娘が嫁いで行った。
24年という年月は私達親子にとって余りにも短か過ぎるものだった。
彼女が中学に上がる頃には父親はいなかった。2歳違いの兄を子供の頃から父親のように慕い、「私がお嫁に行く時は、お兄ちゃんが私の手をとってバージンロードを歩いてね。」と、常々言っていた。
昨年秋、結婚の話が上がった時、娘は誰よりも先に長男に知らせ、長男も航空自衛隊の正装で妹をエスコートする事を約束していた。
私は、娘の結婚式を私自身の集大成にしようと考えていた。ここまで親子3人でやってこれたのは周囲の方々が子供達を育ててくれたからだと思って来た。
周囲の人達への「お陰様でした」という深謝の気持ちと、私を事ある毎にかばい続けてくれた2人の子供達への「ありがとう」の気持ちをこの結婚式に託すつもりで準備にとりかかった。
ドレスを選んでいた時の娘の幸せそうな笑顔、引き出物を決める時の真剣な顔、行き詰まって半ベソをかいていた顔、今思い出すと、どれもこれも私には宝物の箱を開ける時のような「言いようのない瞬間」として心に残った。
結婚式まであと半月という時、長男から電話があった。
訓練の為に、結婚式当日は日本海上空を飛んでおり、出席出来ないというものだった。
仕事とは言え、何と言う非情・・・と全てが恨めしく思えた。
娘は今までに見せた事もない程泣いた。私は娘に対してかけてやる言葉さえ見つからなかった。「お兄ちゃんに見て欲しかったのに。」振り絞るような声を私も一緒に泣きながら聞いた。
式の当日、長男からの手紙が披露された。「・・・お前の夢だったバージンロードを一緒に歩いてやれずにごめんな。きっと幸せになれよ。
日本海上空から祈っているぞ。」というものだった。拍手が暫く鳴り止まず、出席者全員が泣いた。
長男の日本海上空からの祈りと、私からの贈り物の雛人形を持って娘は岩手県に嫁いで行った。