「 命の奇跡 」
真 紅(ペンネーム)
「子どもなんて、うるさいし、汚いし、手間とお金がかかって面倒なだけ。夫婦ふたりで優雅に暮らしたい」本気でそう考えて子供なしのDINKSを気取ってきた私。35歳。
「○○家の血を絶やす気か」という舅・姑のプレッシャーにも「家なんていったって、そもそも大昔から『家制度』なんてあった訳じゃないし、別に問題ないじゃない」なんて心の中で反発して相手にしてこなかった。
「二人の子供が生まれたら、二人の遺伝子がひとつになって、永遠につながっていくんだね」ある日の夫の何気ない一言を聞いて、私は天啓を受けたように悟った。ああ、そうか。子供を作るってそういうことだったんだ、と。そして、その日は興奮してなかなか寝付けなかった。頭の中を、遺伝子の螺旋構造と、私と夫の見知らぬ遠い祖先達が、グルグルと回っていた。
私の遺伝子と、夫の遺伝子。それは、遥か昔からずっと続いてきた命のリレーの結果。明治時代も、江戸時代も、鎌倉時代も、平安時代も、縄文時代も、猿だったときも、鳥だったときも、魚だったときも、アメーバだったときだって・・・私たちふたりの祖先は一度も途絶えることなく何十億年も命をつないで来たのだ。その間には、戦争も、飢饉も、病気も、生存競争も、いくつものつらいこともあっただろう。
すべてを乗り越えて、私たちの遺伝子がここにあること自体が奇跡なのではないだろうか。
この遺伝子は、どれだけの数の命の結果だったのだろう?どれだけの数の喜びが、どれだけの数の悲しみが、どれだけの数の愛が、その中にはつまっていたのだろう?そして、ふたつと同じ物のないこのふたつの遺伝子が出会い、また、ふたつと同じ物のない、遺伝子を作っていくのだ・・。
「家」は、人間によって作られたもの。それを守らなければならないなんて気にはさらさらなれなかったけれど、遺伝子というこの命の奇跡を、つなげるものなら未来につなぎたい。強く強く、そう思った。
もうすぐ36歳。ちょっと気づくのが遅かったけれど、遅すぎることは、きっとない。私、遺伝子のバトンをきっと、次に渡します。