「 分かれ路 」
杉山 とみ子(世田谷区)
きのう、『ふたりの5つの分かれ路』という映画を観ました。フランス映画です。冒頭のシーンは幼い子供をもつ三十代のカップルが離婚手続きをしているところ。ああ、これからこの二人は、どんな人生を
送っていくんだろう。そう思って観ていると、お話は二人の過去へ過去へと、どんどん時間軸を溯っていくのです。
自宅でのディナー・パーティ、出産、結婚式、そして、出逢い・・・と、近い過去から順に時間を逆行して二人の断章が写しだされます。
時計の針が逆回しにされていくにつれ、彼も彼女も歳月のくすみを脱ぎ捨てるように、いきいきと昔の自分に戻っていきます。ラストシーンの二人は恋の予感を胸いっぱいに、幸せそうに海辺のきらきらした光に包まれています。でも、私たち観客は知っています。この生まれたばかりの恋もほんの数年の後には冷たく終わってしまうことを。残酷ですね。私たちだけは、別れの伏線をしっかりみてしまいます。
この映画の原題名は、『2×5』というらしいです。「5つの分かれ路」といっても、それぞれのエピソードに彼と彼女、二通りの真実があるわけです。最近では『8人の女たち』、『スイミング・プール』などで知られるF.オゾン監督は、しばらくの間私たちを神の座に置いて、シニカルな破局への伏線探しを経験させてくれます。
けれども、現実生活ではこんなマジックは使えません。恋愛にしても、友情にしても、うまくいかなくなったとき、人ははじめて「何がいけなかったのかしら?」と無力に過去をたどるほかありません。棚の上の写真の中で微笑んでいる私の夫など、その日から十年も経たないうちにほんとうに突然この世を去ってしまいました。
私たちはあまりにも大きな現在に埋没してしまって、時として過去も未来も見えない生き物になってしまいます。だからこそ、時間軸を操作してみせてくれるアート作品にこんなにも魅了されるのかもしれませんね。でも、私たちはつらい別れは予測できなくとも、どんなかたちであれ愛の始まりのよろこびは経験できるんですから、その瞬間の輝きを信じて愚直に生きつづけていきたいと思います。