第 2959 号2005.10.09
「 「おーい 雲よ」どこへ 」
ゆめ子便り(ペンネーム)
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと
磐城平の方までゆくんか
中学校の国語の教科書で覚えてから好きになった山村暮鳥の詩です。
悩みや心の憂が溜った時、フッと口に付いて出てくる。空に向って“おうい雲よ”と呼んで見る。ゆうゆうと浮かぶ白い雲を見ていると心が楽になる。たった五行の詩に励まされる。
洗濯物を取りこみながら、モクモクと湧いてくる雲をながめる。フカフカに膨らんだ日向くさい布団に頬杖ついて眺める飛行機雲、エプロンの裾にからんだローズマリーの香りが漂よい、足元には二ひきの猫がすり寄ってくる。ヘリコプターの爆音ものどかに響く、そんな秋の日の午下り。はるか向こうの隣り町の家並の、その向こうの山並まで、どこまでも広大な空が広がっている。
地元民と新住民が混在する緑多い郊外のこの地で自然にふれさせて、思いっきり遊ばせたいと、息子のために小さいマイホームを建てた。
二十八年前である。
バブルの崩壊で大手企業の保養施設やテニスコートは分譲住宅に変った。田畑も農業の後継者不足、相続税問題やらで次々と宅地化となり、我が家も狭い道路を挟んで、ぐるりと建売住宅に囲まれてしまった。
“おうい 雲よ”なんて、ベランダの手摺りにもたれて、ぼんやり雲の流れをながめる事は今はできない。家々の窓、窓で、うっかりしていたら危しまれてしまいそう。又、一つ向こうにブルーシートが張られ、マンション工事が見える。雪を被った高尾の向こうの山並も、この冬は見えなくなるだろうな。
だんだん空がなくなってきた。
“おうい雲よ”どこへ行ってしまうのかい?