第 2957 号2005.09.25
「 屋根の思い 」
小宮 みゆき(品川区)
築五十年の自宅を建て替えた。壊した家の二階の屋根の西側にあたる部分を、今度は屋上にしてもらった。
新築して初めて屋上に立った時、空をキャンパスに遠く聳えるように伸びて立つ、数本のカロリナポプラを囲むこんもりとした森と、そこから我が家に到る街路樹の緑の美しさに息をのんだ。
これほどのビューポイントが嘗ての我が家の屋根の上にあったとは・・・・。知らなかったこととはいえ、何と勿体ない時を過ごして来てしまったのだろうかと、大げさでなくそれは無念に近い思いだった。
特に、夏の夕焼けの屋上は、さながら劇場の特等席でワイドスクリーンを観る如く、夕日を映す雲の茜色から紫に変わる刻々の色合いは、言葉にする暇が無い見事さだ。そして暑い夏が過ぎ秋風の立つ頃の、森と雲とを朱の帯でつなぐかに見える澄んだ静かな夕焼けは、多分、昔人もその自然のなせる業に魂がゆり動かされ、人間のはかなさ、小ささを思って畏敬の思いで合掌したであろう姿を思い描けるほど荘厳である。
半世紀もの間、この風景を見続けて来た我が二階の屋根は、どんなにかこの高まる感動を下の住人に伝えたかったことだろう。
もしかしたら、あの古い家と共に去って行った屋根の最後の思いが、西のこの場所に屋上をつくるようにと働きかけてくれたのかもしれない。
今、こうして屋上に立っていると、その屋根の長い沈黙の重みが一挙に伝わって来る。