第 2952 号2005.08.21
「 遠い花火 」
渚 みち子(ペンネーム)
夜、八時近くに、ベランダで煙草を吸っていた夫が、居間におりてきて東京都の地図を広げた。
「東の空に花火が見えるよ。たぶん、二子玉川じゃないかな」
「えっ?そんな遠いところの花火が見えるの?」
急いでベランダに出て、目をこらす。音は聞こえないが、たしかに東の空に時々赤や黄色の光が高だかと上がる。電池が切れかかったペンライトのような、薄い光が、パッと輪を広げては闇に吸われて行く。
低い仕掛け花火は見えないが、大きい打ち上げ花火の光が、直線距離で十数キロ以上あるのに、ここまで届くのが不思議だった。ここは、玉川の上流で、高度も高いからであろう。長年住んでいた東隣の人が移転して、そこが更地になったからでもある。
二子玉川沿岸は、三年前まで、私たちが住んでいた所。花火も何度か見に行った。長く親しんだ友人、隣人も、この光を硝煙と轟音の中で仰いでいるかもしれない。
不思議に、なつかしいはずの五十年の歴史は、たった三年を経ただけで、淡い光の中だった。
そういえば、つい一ヶ月前までの東隣の景色、亭々とそびえる数本の松、太いグミの木、薫り高いくちなし、道行く人がほしがった熊笹、それらはみな、草一本も残らず消え失せている。秋には、三軒の家が軒を接して建つというから、二子玉川の花火も今年だけ見られたのだった。
ふと、私は、鼻をつく硝煙と、立て続けの炸裂音に包まれた錯覚を持った。花火は、赤、黄、白の大輪の花を音もなく無数に咲かせ、それからは、ビルや木立や屋根のシルエットを描く、深い闇だけだった。
私は、私自身の存在が、遠い花火になる日を思い描きながら、部屋に入り、よろい戸を下ろした。