「 包丁研ぎ 」
岡野 恵子(東京都日野市)
結婚三十数年も経つと生活のすべてがマンネリ化してくる。何か新しことを覚えたいと思い、“包丁研ぎ”の講座を公民館で受講した。
自分で研いだ包丁の切れ味がよくなれば料理するのも楽しくできるのではないかと思ったからだ。最初は恐恐だったが回を重ねるごとに病みつきになり、終りの頃には家中の包丁は銘刀ようになってしまっ
た。仕方がないので砥石持参で実家まで出張サービス。七十九才の母が私のひょう変ぶりに驚き、包丁の切れ味に二度びっくりとなった。
これで少し親孝行にもなったかな。けれど私の友人達は「遠慮しとく、うちのは高かったのよ」などと冷たい反応ばかり、物が物だけに無理強いはしなかった。
ある時、公民館祭りにボランティアで参加して欲しいというたよりが届いた。もちろん研ぎ師として。当日は男性ばかり五人の中に花一輪の参加となった。研ぎに集中できるようバンダナできっちり髪を包み身なりも整えた。集まったのは三十数丁。手入れの行き届かない代物が多い。私自身以前の我が身を思い出して反省した。錆はクレンザーと金束子で落とす。中には捨てた方がよいような包丁もあるが心を込めて一気に研ぎ上げると気持までスーとする。これで一丁百円也。
公民館に少しはお返しできたかなと思う。受けとりに来られた人の中に「私も是非やってみたい」という方が何人もいらして、女研ぎ師としては嬉しい限りだった。主婦が自分の研いだ包丁で料理する。こんな当たり前の事がなぜ今まで気付かなかったのか、三十数年損をしてきたような気持になった。大好きな青木玉さんの随筆の中に「母(幸田文)の料理は野菜の切り口がツルツルしていて口の中を転がるようだった。そしてお造りなどは角がツンと立っていた」というような一文があり己の料理を思い愕然としたことがある。そこまではとても望まないがせめて月に一度包丁を研ぎながらその時のことを思い起こしたい。