「 57歳の子育て 」
小野 勝彦 (武蔵野市)
15歳の息子は単身赴任の父親の反対を無視し、母親の賛成を錦の御旗にさっさと高校を中退して、ギター3本に付随の道具類、着る物、楽譜類等など荷物を満載して2DKにやってきた。
あわただしく共同生活が始まり、ぱたぱたと半年が過ぎていった。
戸惑いと理解を超えた行動に打ちのめされた父親も次第に落ち着きを
取り戻した。
日当たりのよい1部屋は占領され足で隙間を作らないとベランダまで行けなくなった。
ひさしを貸して母屋を取られたようだ。
土日に帰省し、3人の子育ては妻に任せっぱなしだった。塾はよくサボってもギター教室だけは休んだことがない次男坊だったが、まさか高校を辞めるとは、大きな衝撃だった。
しかし、親が王道を説得するには世の中が変化しすぎた。ちゃんと大学を出てサラリーマンになりなさいとはいえない。学校を出ていないと社会生活が出来ないと思っていた自分が情けなかった。
「お父さん僕は、後戻りできない狭い社会かもしれないけどギターで生きていくんだ。」これが15歳の子供の言葉なのか、自分の将来をしっかり見据えているではないか。
「判った、もう何も言わないもっと腕を上げろ、お父さんも協力するよ」
毎日、夜中まで音量を下げたギターの爪弾きが始まった。
父親の着信音もラルクの「自由への旅立ち」に変わるのに時間は掛からなかった。
妻の逆襲だろうか、一緒に暮らし始めてただの一度も様子を見に来ない。
夕食のメニューも増えた、単身の長い台所にはすべての道具、食器が揃っている。料理のレシピを見ながら包丁を使うのが全然苦にならないことに気が付いた。
「おいしいね、しょうが焼き、料理上手いじゃないお父さん」この一言でハイテンションになり新しいおかずをまた考えるのである。
「きっとメジャーになって、立派なミュージシャンになるよ、約束する」
この息子の言葉が生きがいになっていることに、驚きと喜びを感じている父親であった。