第 2940 号2005.05.29
「 ヤマトウ 」
金城 勝代(沖縄県)
風薫る五月、南国沖縄もいつになくさわやかで、わたしの小さな店(食堂)にも内地の観光客が、口こみやインターネットを通しておいで下さる。
わたしは、このような内地のお客様を少し親しみを込めて、かなり憎しみを込めて、ヤマトウと呼んでいる。
かなりの憎しみを込めてと言うことには、深い理由がある。
昭和前半生まれのわたしの脳裡に第二次大戦時の恐ろしい日本兵のイメージが焼きついて離れないからである。
いつの世も戦争は人々に憎しみ以外の何も残さない。
今、フリーターと呼ばれる内地の若者が、沖縄の街にあふれている。
「おばちゃん、おばちゃん」と店を訪れる若者たちは、実にくったくがなくやさしい。ふらふらと毎日を送っているようだが、二、三ヶ月も沖縄でフリーターをしているうちに、しっかり人生の目標を見つけて帰える者、沖縄に根をおろして生きる準備を始める者、それぞれ何らかの道を見つけるのもおもしろい。
夜中の二時にオープンする(農連市場、ちゅらさんで少し有名になった)不思議な店、それが私の店、モーニングステーションである。
そこへやってくるヤマトの若者たちと、歌ったり、語ったりしているうちに、絶対に許せないと思い続けていたわたしのヤマトウへの憎しみが少しずつ消えていく。
ひとり、ひとりの下人民には、何の罪もないのだ。
あの時の国家態勢が生み出した憎しみなのだとやっと許せる寛大な心になれた、六十五才のおばあである。ふと手にした「風の詩」を通してこの心を知って欲しいとも思えるようになった。