「 庭への想い 」
中野 祐子(埼玉県川越市)
川越の私の実家の周辺は城下町の名残りの古い建造物が多く残り、近年美観を考え電柱も撤去した蔵造りの街並みは「小江戸」としての風情を感じさせ訪れる人も増えた。だがそんな中で最近気になる事がある。少し裏道に入ると建設重機が動き回る場所がやたらと目に付く。
空き地や何かの跡地に次々とマンションや住宅が作られている。かなりの高層のマンションも増えてきた。「蔵の町」としての景観はどうなるのか。
そして先日の事、何と実家の目の前でも解体工事が始まっていた。かっての幼な友達の家は人手に渡り今度建て売りの家が数件建つと言う。広い敷地は木戸のある立派な門と焦げ茶色の高い板塀に囲まれていて、中は大きな木が沢山あって少しうす暗く、玄関までの敷石は夏でもひんやりしていそうだった。「離れ」に続く長い廊下から見る庭の風景は子供ながらに別世界に思えたものだ。近所に庭の広い家は多くあったが、今は世代が変わり何軒もの家が窮屈そうに立ち並ぶ場所にどんどん姿を変えている。新しい家のわずかな「庭」のスペースには大抵流行りのラティスにゴールドクレスト、サフィニアやパンジーの花という風に似通っている。
店を営んでいた実家に庭はなく、広い庭は私の憧れだった。古い木戸の温もりや色々な形の敷石、梅とか藤とかキンモクセイとかの季節を思わせる花の匂い、濡れたアジサイの花びらの微妙な色合い、ヤツデの葉の妙にツヤツヤした深い緑――子供の頃訪れた庭の記憶の数々
は懐かしく甘美なものに思える。
現在の私はと言うと、数年前から夫の実家に同居し、初めて念願の庭を持つ身となった。現実は、風で飛んで来る落ち葉の掃除が大変だわ、夏は蚊が多いわ、と嬉しい事ばかりではないが、これから新緑や次々と咲く花々が楽しみな一番いい時季を迎える。この庭が今は幼い子供達の記憶にも美しく残っていってくれるとよいのだが。