第 2938 号2005.05.15
「 岩手訛り 」
畠山 嘉子(目黒区)
北の詩人は
停車場の人ごみの中に
故郷の訛りを聞きに行ったという
東京生まれの私がいつの間にか
その岩手訛りをなつがしかっている
夫の故郷は詩人と同じ岩手県
新婚時代法事の手伝いに行った時
手伝いの人達の会話がちんぷんかんぷん
それでもにこにこ相槌をうっていると
「私らの言っていることが分ってるのは?」
隣家の叔母に問われて返事に困った
聞き取ることも難しかった
完璧なる舅の花巻訛り
殆んど標準語に近かったけれど
語尾にやさしい抑揚を含んだ姑の訛り
純粋で姿勢の真っ直ぐな農家の叔父は
戦争に行って何とか無事に戻って来たが
後年糖尿病となり
片足を失ひ片目を失い
「あゝ死にたい」と
熊の毛皮の上で嘆く時の
岩手訛りはあまりに悲しくて
耳を塞ぎたい程だった
あっという間に
みんなみんな亡くなってしまった
岩手訛りのたおやかなイントネーションを
北の詩人が渇望したように
今は私がそれを渇望している
夫も夫の姉妹も
もはや訛りを感じさせない話振りなのに
彼等の会話の中にそれを探している私
桐の花が天高く咲く時
岩手訛りは風と同律だと思ったりする