第 2937 号2005.05.08
「 母の日のエピソード 」
長坂 隆雄(千葉県船橋市)
故郷を離れて50年、母の日だけは毎年帰郷する事が慣例になっていた。
帰りには必ず、私の子供の時からの好物である巻き寿司をもたせてくれた。
幾つになっても子供は子供、母にとってのささやかな喜びでもあったようである。
母が80歳を過ぎた頃からであろうか、巻寿司の堅さが気になるようになった。
今までは堅く巻かれていた寿司が年毎に柔らかく、粗くなってきたように感じるようになった。
帰りの車中で手にした寿司が時にはぽろりと落ちる事があった。改めて一年毎に老齢化する母を実感するようになった。
一昨年の母の日の事である。
90歳になった母が言った。
『あんたの好きな巻寿司がなあ、もう巻けんようになってしもうたんや。
力がのうなって巻けんのよ。お米がぽろぽろとこぼれてしもうてなーー』と寂しそうに言った。
私は胸が一杯になった。
『もう、いいんだよ。今まで十分堪能させてもらったんだから。気持ちだけで充分だよ』
と言いたかった。併し、何も言えなかった。
その一年後、母は亡くなった。
母の日が近付くと、母の手巻きの寿司が懐かしく思い出される。