「 彼岸のひとこま 」
遠藤 敦美(横浜市)
昨年母が91歳で亡くなった。朽ちた老木が倒れるような突然の別れであった。
母は世間によくある田舎での一人暮らし。もしものことを考えて電話で安否を確かめたり、介護の帰郷を毎週末に続けてきた上での死であった。
この母のことで私が一番心配していたのは一人暮らしの孤独死。
しかし亡くなったのは丁度姉が母の介護に訪れている最中であった。「神様有難う」と言わずにおれないほど偶然であった。
こうして母が亡くなって一年が過ぎた。天寿をまっとうしての別れだったので亡くなった当座は悲しみに明け暮れるような寂しさは無かった。
ところが新年を迎えた時、急に母の存在が我が家にとって予想以上に大きなものであったことが実感された。
母がいつも作ってくれていたおせち料理も無く、人も賀状も届かぬ寂しい喪中の正月。都会の新しい家に古い仏壇は似合わないと言う妻子の意見に負けて現代風の新しくて小さい仏壇を購入した。それが周りにそぐわない姿で部屋の中央に鎮座している。
現代風の若者の典型である我が家の子供達が生前にはあまり言葉をかけてやらなかった母なのに、その亡き母の仏壇に時折線香を立て頭をたれることがある。
私は、寒い部屋の線香の香りを嗅ぐ度に内心ほっとしたものを感じている。
こんな我が家に春が来て、初めての彼岸がやって来た。母の墓は田舎の小高い丘の裾にある。彼岸の日、誰が発案したわけでもないのに、家族全員揃って墓参りに帰省した。墓地の掃除、花立て。たまにしか参ってやれないからと、自室の掃除もしたことのない子供達が黙々と墓掃除に汗をながしていた。
時代が移ろい、世代が変わっても人間としての真心はちゃんともっている。その子供達の姿を見て、何だかんだと不満ばかり言っているが、何とかまともな新しい大人に成長してくれているとほっとして晴れやかな気分になった。
帰りの帰郷の車中、子供の成長につれ、目立って会話が少なくなった家族の雰囲気と違って皆でおしゃべりをして駅弁を食べながら時間が流れた。気がついたら新横浜が近かった。小さくても平和な家族の彼岸である。