第 2924 号2005.02.06
「 孫娘の接待 」
中川 章治(大阪市)
定年退職して2ケ月。その日は久しぶりに大仕事が入っていた。今年で六歳になる孫娘の面倒を半日見なければならない。妻と娘が二人で出かけることになり、私と孫娘で留守番をすることとなったからだ。
日頃、孫が家に来る時は娘と一緒だし、ましてや、家には必ず妻もいる。それが、二人で半日過ごさなければならないとは、かっての営業マンとしての血が騒いだ。
前日には子供の喜ぶケーキやジュースを調達し、今話題のアニメDVDも妻に内緒で買ってある。おもちゃ屋の店員には、子供に人気の話題もリサーチ済みだ。準備に抜かりはない。その朝は6時に目を覚まし、駅への道を往復した。駅までは歩いて15分ほどだったが、途中工事などで危険がないか、犬がいて孫に吠えないか、念入りに通り道を歩いてみた。家に帰ると妻が朝食を作ってくれていたが、臭いの強いネギや納豆は避けた。時計を見た時、約束の10時にはもう二時間を切っていた。洗面台へ行き、歯を磨いた後、丁寧にヒゲを剃り、服は孫の好きな赤いセーターを着ることにした。
いよいよ約束まで一時間を切ったが、そこからなかなか時計が進まない。手に持った新聞も穴のあくほど読み返した。「もういっそうのこと駅で待っていよう。」そう思って、玄関を出たところで、電話が鳴った。娘からの電話だった。
「何だもう駅についたのか。早かったな。」妻にそう言うと、
「急に萌ちゃんが熱を出したんだって。」そう言って、今日の外出が中止になったことを告げた。私は全身から力が抜けたのを悟られないように、座って靴を脱ぐふりをした。
午後には買っておいたケーキで、妻とお茶を飲んだ。私の服を見て、妻が一言。
「あら、似合うじゃない、その赤いセーター。あんなに着るの嫌がってたのに。」