第 2916 号2004.12.12
「 幻の特等席 」
喜多野 眞理(ペンネーム)
その席は歌舞伎座にある。
母と兄と3人で歌舞伎を観るときは必ず予約をする席。
1階れ列1~3。
3席で独立しており、まるで私たちのために誂えたよう。
東桟敷席の横で、東2扉に直結している。
幕間にトイレへも売店へもすぐに行ける。
もちろん、花道も全部見渡せる。
2等席だが、前が通路になっており、ゆったりと観劇できる。
まるで炬燵で歌舞伎を観ているよう。
贔屓の役者さんが登場しては、肘をつつきあい、
煌びやかな衣装やさりげない仕草に目を奪われては相槌を打つ。
私たちにとっては特別な場所であった。
現三津五郎さんの襲名披露の時、
歌舞伎の奥の深さやもてなしの心に感激し、
明日も来ましょうと駄々をこねた私。
それが3人でこの席に座った最後だった。
久しぶりに訪れた歌舞伎座にはあの席がなくなっていた。
車椅子の方が入れるように
座席を撤去したそうである。
時が過ぎて少しづつ
また歌舞伎座に通えるようになってきた。
必ずあの場所へいき、目線を舞台に合わせる。
座席が撤去され、色褪せた跡を撫でながら
また参りましたと母に声をかける。
今もあの席は私の特等席である。