「 父と銀座 」
浅石 美咲(横浜市)
銀座の町の変わりようが激しくなって何年になるだろうか。お気に入りの店がどんどん消えていくなか、海外の有名ブランド店がひしめき合い、しゃれたビルは増えたけれど、銀座らしさが消えつつあるように感じるのは私だけだろうか。20年~30年くらい前までは、銀座ならではの店がたくさんあった気がする。店構えは小さいけれど、その道の専門家がちゃんといて、銀座にしかないものを丁寧に売っていた。
少々高くても、せっかく銀座に来たのだからと両親が奮発して洋服などを買ってくれたものだ。その後お食事が又、楽しみだった。
娘時代、父と二人で銀座でよくデートした。妹や母には内緒だよと言って、画廊巡りをした後、最後によく寄るのが千疋屋のパーラーだった。普段甘いものをあまり食べない父だったが、その時だけはフルーツパフェを食べていたのを思い出す。父は大学生の頃、銀座で金魚を売ったり、PXでクローク係などをして学費を稼いでいた事を話してくれた事がある。そんな事から父にとって銀座は特別な町だったのかもしれない。私にとっても銀座は、そこかしこに思い出が散りばめられている町だ。博品館劇場のこけら落し公演を観た事、歌舞伎、宝塚、映画、草履の修理……etc.特に印象深いのは、父といつも一緒
だった銀座に初めて一人で出かけた時の事だ。同じ道なのに建物の色
まで違ってみえた。教えてもらった喫茶店に入り、恐る恐るバッハの無伴奏チェロ曲をリクエストした。曲が店内に流れだしたのだが、私は少し気恥ずかしくなり、曲をすべて聴き終えない内に店を後にした事が、昨日のように蘇る。
昨年父を亡くした私は、変っていく銀座の町並みの中で無意識に父との思い出の場所を探している事に気ずかされる。どうか、これ以上変らないでほしいと願いながら……。