第 2908 号2004.10.17
「 夜の虹 」
鈴 谷 弦 子(ペンネーム)
診察室の窓の向こうは真っ暗闇。どこからが空なのか、家々の影も定かでない。その遥か彼方に、ぽっかりと虹が浮かんでいる。白衣姿の父が虹を指し、何か言っている。傍らで母は、綿棒やガーゼを片付けたり、器具を消毒したりしていた。
四十年近く昔のこと、私は四-五歳くらいだったか。暗闇に輝く虹の、美しいと言うよりは、どこか曲々しく、不気味な印象が、今でも鮮やかに蘇る。
内弁慶で、病気勝ちな子供だった。暇さえあれば、アンデルセンやグリム童話を読みふけり、妖精や小人を友達のように感じ、魔法が使 えれば、どんなにいいだろうと夢想したものだ。
一方、夜に虹を見た物には、何か恐ろしい呪いがかけられるのではと、気に病んでもいた。成長するにつれ、さすがに、そんな考えは、消えたが、両親の離婚、持病の喘息の悪化、人間関係での様々なトラブルが続く中、自分の運命の吉凶が、あの虹だったのではとの思いが時折、ひょっこり顔を出した。
夜の虹を見た者には幸運が訪れる。ハワイの古い言い伝えに、あるらしい。偶然知ったのは、つい最近。新聞の、ある写真集の紹介文にひどくどきどきした。
あの晩の虹への思いが180度変わった。だからこそ、一時は、医師に、死ぬかもしれないと言われたほどの症状も、年々軽くなってきている。
諦めていた結婚も出来、丈夫な男の子にも恵まれた。
何より、自然に呼吸が出来ることの有難さ。自由に語り、笑い合えるほど、幸せなことはない。
やはり、あの晩、私は魔法をかけられたに違いない。それも、とびきり素敵な、奇跡という名の。