第 2907 号2004.10.10
「 無題 」
酒井 登美子(ペンネーム)
「お昼をご一緒に」と近所に住む友人から声がかかって、その嬉しい申し出に早速お訪ねしました。その頃の私は、主人の長期出張や子供の反抗期等が重なって気持ちの晴れない毎日が続いていました。
笑顔で迎えられた友人宅の居間には、黒塗りの座卓とかすり模様の座布団がお客を待っているかのように置かれていました。日のにおいに木犀の香りが混ざって、やわらかい風が部屋の隅々にまで入って来ます。久しぶりに心がゆったりとしました。すすめられるままに席に着くと、目の前に出来たての栗ご飯。友達がていねいに皮むきした跡がすがすがしい大粒の栗。ご飯は塩加減も良く栗の甘さをふっくらとひき立てます。「田舎から届いたので、おばあちゃんと昨夜のうちに皮むきしたの」。やがて湯気の立ちのぼる朱色のおわんが差し出されました。上に三ッ葉がこんもりとしたかきたま汁です。葛がかかった汁は
夏の疲れを押し出してくれるようでフーフー言っていただきました。
小皿には、ほど良く漬かったきゅうり。はし休めにぴったりです。
おばあちゃんこと、ご主人のお母様は食後のお茶をいただいている時、顔をのぞかせました。子供の話になった時、「ちょっと、お手を拝見」と言って私の左手を御自分の両手に包むように取られてじっと見つめていらっしゃいました。そして「大丈夫、お宅のお子はみないい子、立派になりなさいますよ」と言ってくださったのです。その言葉を聞いて心がスッと軽くなりました。
それからは子供の亊で不安になると、あの「大丈夫」の言葉が心をよぎって、以前よりは一呼吸おいてから考えられるようになった気がします。温かなおもてなしに心が弾んで、思い出に残る秋の1日となりました。