「 古いレコードに針を下ろすと 」
岩本 勇(杉並区)
フリーマーケットで妻がレコードプレーヤーのセットを超安値で見つけてきた。
CDが一般的になり、わずかに残っていたレコードも押し入れの奥で埃をかぶっている状態になって久しく、正直なところ何を今更という感じで、その中古のレコードプレーヤーをながめた。当の妻も買ってきたはいいが、いつまでたってもそれを使ってレコードを聴こうとはせず、CDコンポにくらべ決して場所を取らないとは言えないレコードプレーヤーセットは、無用の長物として狭いわが家の一角を占めるようになった。
いつになったらこれを使うのかと聞くと、妻はもう少し広い家に住めるようになったらこれをインテリアとしてきちんとセットし、それからと言うのだが、そんな日はいつになるかわからない。リサイクルの日、邪魔なだけだからもう捨てようよと言うと、妻も現実的になり一応は同意したものの未練いっぱいの様子である。その横顔を見ていたら、思い切ったこともできなくなり、それを切っ掛けに、どれ、一度聴いてみるかと押入れから一枚引っ張りだしてきた。
とこれがなかなかいいのである。
ターンテーブルに載せたレコードは、60年代の頃よく聴いたフォークソングのアルバムなのだが、CDのデジタルサウンドでは決して醸し出されない、懐かしいあの時代が甦ってきた。これはどういうことなのだろう。レコードのアナログサウンドには、ただ単に音楽の音だけではなく、それを聴いていた時代の匂いのようなものまで甦らせる力があるのだろうか。髪の毛を長くし、学校や社会への不満でいっぱいだった自分自身の若かりし日の姿まで甦ってくるではないか。
妻も広い家に住むようになってからという理想は一旦取り下げ、私と競うかのように押し入れの中から昔聴いていたシャンソンやクラシックのレコードを引っぱり出してくるのだった。