第 2902 号2004.09.05
「 梅干 」
坂野 剛崇(大阪市豊中市)
暑い日、のどが乾いた時につまむ梅干は、この上ない。
すっぱさは、汗をひかせ、ほんのりと口の中に広がる梅の香りは涼しさを誘う。そのうえくどさがまったくない。冷たい湧き水のように、ただただ涼のみを与えてくれる。
就職して実家を離れて20年近くが経つ。その間住処はいくつも変ったが、梅干は、いつも実家の自家製である。かつては、祖母が作って送ってくれていた。いつの間にか、母が作るようになっている。幾分塩加減や堅さに違いがあったが、きちんと梅の香りがするところは同じである。無用な味は何一つしない。
子どもの頃には、梅を干すのを手伝ったこともあった。大きなすだれに一つづつ並べ、後には一個一個箸でひっくり返していく。今思うと手間のかかる仕事である。その時は、何となく面白いから手伝っていただけで、大変さも感じなければ、出来上がりまでのことも考える
ことはなかった。珍しく、今日はそんなことも思い出した。
今、目の前にある梅干は、いつまで食べられるのだろう。そんなことも考える歳になってしまっている。元気ではあるが、さすがに梅干を作らなくなった祖母(母の作る梅干の味に意見しているのだろうが)、
今、何でもなく梅干を作れるようになった母。かつて手伝っていた時の微かな記憶から作っている母の姿を想像してみたりする。
この梅干は、いつまでも食べたいと思う。
この夏は、帰省しなかった。秋には、連休を利用して、帰省してみるか、そして、作り方でも聞いてみるか・・・などと考えてみたりもする。
今度は、他の誰でもなく、私が覚える番である。
残暑の午後、そんなことを考えながら、もう一つ余計に口に入れた。