「 沖縄の風 」
井上 良子(杉並区)
「あ、沖縄の風の匂いがする!」
雷雨が上がって、窓を勢いよく開けた次男が言った。沖縄の風の匂い? 妙なことを言うと思った。次男は気持ち良さそうに、空気を吸い込んでいる。彼をまねて、深呼吸してみた。濡れた樹木や土が放つその匂いに、思い当たることがあった。
もう何年も前の夏、家族で沖縄に旅行した時のことだ。台風の余波でスコールのような雨が降った日があった。小学校一年の長男と四才の次男は、窓に張り付いて、滝のように流れ落ちる雨を飽きずに眺めていた。雨が止むと、二人はすぐコテージの庭に飛び出し、走り回った。青臭い緑の匂いを含んだ生暖かい風が吹いていた。この子はあの時のことを言っているのだ。楽しかった旅行のことを覚えているのだ。
そう思ったら、胸がいっぱいになり、愛おしさがこみ上げてきた。
中学二年生の彼は、現在、反抗期のまっただ中。人一倍甘えん坊な子だったが、三才年下の娘が生まれてから急に私を離れ、なんでも一人でするようになった。あの時期のフォローが足りなかったのだろうか。三人兄弟の真ん中で、愛情不足だったのだろうか。母である私を嫌っているかのような態度に、こちらの自信も揺らぎ、悲しさと腹立たしさの募る日々だった。「沖縄の風」という言葉に、彼が幼かった頃の思い出が次々と浮かんだ。
人見知りをして私のスカートにしがみついていた姿。風に舞い上がったビニール袋を見上げた時のキラキラした瞳。ただのスーパーの袋がいったい何に見えるのかと思うほど純粋な光が宿っていた。私が泣くと、小さな手にティッシュをもって来て渡してくれた。
今はわけのわからぬ思春期の烈風の中でもがいているのだ。大丈夫なんだよ、このままで。雨上がりの風の匂いに、胸につかえていたものがスーッと消えていくような気がした。