「 遅刻の贈り物 」
高根 貴代子(練馬区)
先日、いつも利用している電車が事故で止まった。動くのか動かないのか、ホームでしばらくウロウロしたあと時計を見ると、今からではどうやっても定時には会社にたどり着けないことがわかった。
あきらめて会社に電話を入れ、遅刻の旨を伝える。とんだ災難とは言え、堂々と会社に遅刻できるなんて、それだけで胸がワクワクしてくる。どうせならこのまま一日サボって、フラリとどこか知らないところへ行ってしまおうか。そんな淡い欲望をぐっとこらえつつ、別の駅から回っていこうと、駅を出てバスに乗った。
私が小さい頃、このあたりには地下鉄開通という噂があるだけで、駅の気配さえなく、代わりに田んぼや空き地がうんざりするくらいある街だった。
近くの駅まで出るのにもバスで20分以上かかり、通学にも買い物にもバスは欠かせなかった。しかし、いつしか噂通りに駅ができてからは、バスに乗ることもなくなり生活も変わった。
久しぶりに乗ったバスはデザインもずいぶん変わっていた。昔は横一列の長椅子があって、木の床を歩く靴音は素朴で優しかった。窓外の懐かしい風景。狭い道幅、川を渡る橋からの眺め、いつのまにか閉店していた店もあれば、あのころのまま頑固に続けている店もある。
懐かしいという気持ちが心をくすぐり、いつのまにか忘れていた何でもないような出来事をどんどん思い出していた。毎日見ていた風景に重ね合わさっていた幼い頃の気持ちがほのかに立ちのぼってくる。風景と心というのはこんなにも密接なのだ。と泣きそうになりながら思った。
こんなことを覚えていたのかなあ、とびっくりしつつ、ほどなくしてバスは無事に駅に着いた。
たまにはこんな遅刻もいいな、心の中でニヤニヤしたつもりが、いつのまにか顔にまで出ていて恥ずかしくなり、少し急ぎ足でバスを降りた。