第 2886 号2004.05.16
「 ててかむいわし 」
高倉 保子(清瀬市)
今では滅多に見られないまっ青な底抜けの碧い空と風の中に
「エーッ ててかむいわしや―ッ」
「イエーッ 手てかむいわしや―ッ」
と張りのある聞き覚えの声が響き渡って来た。私はもうとっさに「あゝお昼はいわしの握り寿しや」と頭の中で大きな紺色の縁のある洋皿に十ヶ以上のおろし生姜を挟んだ中羽いわしの握り寿しが浮かんでいた。
一年生になった五月半ば頃で若葉が光る時でした。黒い腹掛けに細い捻り鉢巻をした若いおじさんが十一時頃に棒手振りをゆらして「エーッ 手手噛むいわしや―ッ」とその時節十日に一遍位は来ていた様に思う。
母は井戸端で頭をちぎり腸を出して、手で開いて「あっ」と云う間の十四、五匹の下拵え、そしてまぶれる程の塩を振り暫くしてから酢に漬け、おろし生姜の匂いがプーンとした時、お皿の上にはピカピカのころんとしたいわし寿しが並んでいて、家中酢の匂いが立ちこもっている。又いわし寿しだと観念して食卓に向う。こんな所迄手々噛むいわしをどこからぶら下げて来るのかナァと疑問はあったけれど、棒手振りおじさんはいつも汗だらけだったし、ざっと掴んだ一篭がいつも同じ程の数であった。手々噛むいわしって何のこと?手を噛む程鮮度がいい、とれとれのいわしだと教えられて「ヘェーッ」と思っていた。
八十になった今でも、手々噛むいわしやッーの声は忘れないでいる。
今こそあんないわしの握りを食べたいと思うし、ひかり物のネタの好きなのはあの頃の味を忘れないでいるのかと思っている。長閑な千里山字片山での子供の頃の暮らしの中のしっかりした記憶である。貧乏暮しの中での贅沢であったのか、と改めて思うのです。