第 2878 号2004.03.21
「 梅が香や 」
三木 公平(ペンネーム)
通りに面した表庭に、「これはお宅にぴったりですよ」と、時折顔を見せる庭師が、自薦を述べながら持ち込んだ古梅がある。無粋な私にでも、何となくそんな感じを持たせる見事な枝振りで、樹齢もさることながら、雪舟の山水画でも見かけるような古色蒼然たる所も、すでに現役を退いて激しい競争社会を他人事のように、冷めた目で見ている私に似ている。
これが歳ふりた古木のせいだろうか、激しい冬を過ぎて春のきざしを感じはじめたと言うのに、滅多に花を咲かせない。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」とは園芸愛好家の定説だそうだが、私にはそんな趣味も経験もなく、この言を信じて気まぐれにこの古梅の枝を鋸で切り落とした。後に庭木の手入れに来た庭師が、家内にこんな苦言を述べたと言うのを聞いて、それ以来は無精者のいい口実に使わせて貰っている。
「奥さん、折角のこの枝を切り落としたんじゃあ、この梅の木が可愛そうですぜ。大事な枝振りがさっぱりですよ」
「梅の木は剪定した方がいいので、主人に頼んだのですが、あの人は、所構わず切ってしまったんですわ。この梅の木は、もう駄目かしら?」
「何とかして見ましょう」
流石は専門家だ。その後、肥料を加えたり、私が無残にも切り落とした切り口の手当てをして、その翌年には五、六輪の白梅が花開いた。
更にその翌年、孫娘の進学を控えた早春に、何と数え切れない程の花弁をつけて春を告げてくれた。「何かいいことがありそうだな」と言う予感も当たって、孫娘の入学試験も合格した。 春を呼ぶ梅が香に包まれたかの古梅は、今も健在である。